プロフィール

中の人: 染谷 昌利 1975年製


4年生大学卒業後、就職情報関連企業に就職。新卒採用ツール(就職情報誌、ダイレクトメール、ウェブサイト等)の営業活動および制作業務を行う傍ら、担当企業の人事担当と協力し、採用コンセプトや採用スケジュールの構築から、面接マニュアルの作成まで、採用に関わる全般的な業務をおこなう。


4年間勤務するも、会社の経営不振のため退職し自分の顧客であった自動車関連企業の採用担当として転職。

誘い言葉は、「求人広告売ってるんだから、採用ぐらいできるでしょ(はぁと)」。

「できねーよ・・・(-“-;A 」と思いつつも、気付いたら配属初日から面接させられてました。

当時、社員数600人程の店頭公開(現:ジャスダック)企業であったが、働いていた4年間で社員数1800人の東証一部上場企業に成長。この間に新卒・中途採用を合わせて17000~18000人の面接を日本全国でおこなう。

「月曜日:博多⇒火曜日:広島⇒水・木曜日:大阪⇒金曜日:名古屋⇒土曜日:小田原」といった笑うしかない全国面接行脚をしながら、求人広告の発注や校正を行うスケジュールを消化し、採用業務以外にも、営業担当(1000人超)の数値管理&歩合計算等をおこなうなどよくぞまぁ生きていたなぁと思うくらいのハードな日々を送る。この時は若さもあってか、よく会社に泊まったり一番働いていた時期かもしれません。

会社の雰囲気や仕事自体は嫌いではなかったが、離職率の高さにおいて経営陣と意見が合わず退職。人材紹介会社のリクルートエイブリック(現リクルートエージェント)を活用し、不動産関連企業の人事担当として転職。

入社当時、社員数350人程の未上場企業であったが、2年間の人事担当期間で社員数が600人を超す。(会社も一部上場企業になる。)この2年間で新卒・中途の面接を約2000~3000人おこない、めでたく(?)面接人数20000人突破。
※注:正確に数えたわけではないので、ざっくり20000人ぐらいと思っていただければ(笑)

その後、営業管理部門、金融・ファンド部門にて仕事をするも、サブプライムローン、リーマンショックの直撃で会社が経営不振に・・・( ̄Д ̄;) ガーン

これを機に退職し、以後フリーの立場でウェブサイトを通じての情報提供をおこなう。

・・・と、長々と書きましたが、基本的にフツーのおいしいもの大好き兄さんです。

どうやれば楽になるか(サボれるか)という事を考えながら仕事をしているはずなのに、なぜかいろんなことに巻き込まれて、面倒事を背負い込むことが多かったです。
まぁ、今考えると色々といい経験をさせてもらったと無理矢理前向きに考えてます。

スポンサーリンク

シェアする